2015年5月2日土曜日

2015年5月 月刊報告


ブリュッセルにECIがある理由

イスラエル欧州連合は、 ブリュッセルで2003年3月に設立され、 現本社は欧州議会に隣接している。今ではそれが当たり前のように思われるが、我々がなぜブリュッセルを選んだかを今一度振り返ってみたい。

1.  ブリュッセルは、ホロコーストという灰のような状態から立ち上がって来た新しいヨーロッパの中心地だ。この新しいヨーロッパは、3つの原則に基づいて構築される。それは、 「二度と」ヨーロッパで戦争を起こさない、 「二度と」ユダヤ人を失望させない、そしてイスラエルにユダヤ人のための国家を作るという約束だ。我々は、 EUがこれらの約束を忘れないように、ブリュッセルに拠点を置いている。

 2  . EUは国際舞台で益々影響を与え続けている。イランとの核交渉責任者がEU外交政策上級代表、フェデリカ・モゲリーニであることもEU影響力の表れだ。

3.  ブリュッセルはEUの政治的中心地であるだけで無く、EU 28 加盟国の国連安全保障理事会常任理事国すなわちフランス、ドイツと英国3国の間にある地理的中心地でもある。

4  .今日、ヨーロッパは輸出入共にイスラエルの最大の貿易相手国である。

ヨーロッパはユダヤ人無しでは成り立たず、イスラエルはヨーロッパ無しでは成り立たない。ユダヤ人国家建設の構想は、ヨーロッパに住むユダヤ人テオドール・ヘルツルにより1897年に、スイスのバーゼルで始まった。その考えは後にイギリスに認められ、最終的には1920年 イタリアのサンレモで国際法に組み込まれた。

ヨーロッパとイスラエルは共通の歴史を持つだけでなく、共通の未来をも共有している。前スペイン首相、マリアーノ・ラホイ・ブレイは「イスラエルが沈めば、我々皆も沈む」と言っている。

これが私たちがブリュッセルに本拠地を置く理由である。


サンレモ市長がECIへ謝辞、サンレモ平和会議95周年の再確認

サンレモ市とリグーリア州は、1920年のサンレモ会議の重要性を再確認する決定をした。その会議が 今日のユダヤ人国家形成と中東変革への道を開いたからである。

1920年4月25日に行われたサンレモ決議の95周年を記念して、アルベルト・ビアンケリ・サンレモ市長がECIへ書簡を送った。その中で同氏は、この会の重要性が長い間忘れられていたが、ECIの努力のお陰でそれを再認識できたと謝辞を述べている。また「サンレモは、この地域と深く結びつくユダヤ人の特別な歴史の記憶を忘れずにいるために真剣な取り組みをしている」と述べている。

この夏、ラ・スペツィアとリグーリアでは、第二次世界大戦後ユダヤ人難民が最初に船でパレスチナへ渡ってから70周年を迎える。 1945年から1948年に、23,000人以上のホロコースト生存者とユダヤ人難民が、ラ・スペツィアから委任統治パレスチナへ渡った。同市は今日シオンへの玄関口として知られている。

2010年にサンレモ決議90周年を主催したECIは、現在サンレモ決議の法的妥当性の意識を高めるために率先して努力している。これは『平和を我らに』というビデオ制作や、 東京からロンドンに至るまで、世界の国会での講義や会議、 並びにニューヨークの国連安全保障理事会の外交官昼食会での活動が含まれる。

これらの努力は、イスラエル自体またサンレモ市においてのサンレモ会議の再認識をも促し、書簡が示すように今、実を結び始めている。

ブリュッセルで、トーマス・サンデルは、対イスラエル国会欧州議会代表団の新会長、イタリアMEPフルビオ・マルチェッロと会談した。彼はECIを通じてサンレモ会議について学び、リグーリア州だけでなく、イスラエルの法的基盤が強く揺らいでいるヨーロッパ全体で決議を強調していくために私たちと協力していく事を表明した。

サンレモ決議の詳細はhttp://www.givepeaceachance.info/ 


ECI、イスラエル製品にラベルを貼る新しい圧力に抗議-国会で疑問の声が上がる

【ブリュッセル】 16カ国の外務大臣が、ガザ・西岸地域で生産されヨーロッパ大陸の食料品店で販売されているイスラエル産の商品にラベルを貼る手続きを推し進めるように求める書簡を欧州議会のフェデリカ・モゲリーニ外務・安全保障政策上級代表に送った。

外相たちのこの書簡は、ベニヤミン・ネタニヤフ氏がイスラエルの首相として再選され、記録的な三期目を迎えた選挙への直接的な反応だ。

16カ国の外相が見当違いの要求を送る前に、ECIは上級代表に報道声明を送っていた。現在、ヨーロッパの国会では、この手紙を書いた外相たちに責任を問う声が起きている。

ブリュッセルで行われた親イスラエルの団体との最近の会談で、イスラエルとヨーロッパ間のより緊密な関係を支持する多くのユダヤ人団体がいる事実から見ると、ガザ・西岸地域の管轄に関する法的戦いに喜んで関わろうとする人たちがほとんどいないことが明らかになった。

ブリュッセルで唯一の非ユダヤ系で親イスラエルのロビーグループとしてECIは、反イスラエルBDS(イスラエル製品不買運動、権利はく奪、制裁)のメッセージが増長している時に、この難題を引き受けることを誇りとしている。

悲しむべき事実は、BDS運動を構成している多くのグループの中で多数を占めるのがクリスチャンであるということだ。これらの団体は、政府の助成金と同様に、クリスチャンの献金による資金提供を受けている。彼らの動機はパレスチナ人の方々を懸念してだけではなく、ユダヤ人国家を攻撃することにあるようにも思われる。

先月イスラム過激派組織イスラム国(IS)がダマスカスのヤルムク難民キャンプに侵攻し、16人のパレスチナ人を殺害し、主に女性と子供の民間人1万8千人を水や食料を与えずに捕えた時には、何の抗議もなかった。

ECIとその支援者にとって来たるべき年の重要な使命は、BDSおよびこれを支持する政府からの悪意のあるキャンペーンにサンレモ決議の法的妥当性をはじめとして反論することになろう。

この使命の一端を担いたいと願って下さることを感謝する。イスラエルとユダヤ人の側に立ちたいと願うクリスチャンNGOとして、私たちはいかなる政府にも資金供給の権利を与えず、私たちは私たちの働きを支援して下さる方々の寛容によって続けていかなければならない。

皆さんがこの働きを支援したいと思ってくださいましたら、詳細はこちらをクリックしてください。

※この書簡は、フランス、英国、スペイン、イタリア、ベルギー、スウェーデン、マルタ、オーストリア、アイルランド、ポルトガル、スロベニア、ハンガリー、フィンランド、デンマーク、オランダ、そしてルクセンブルグの外務大臣によって署名されました。ドイツはこの書簡に署名しなかったヨーロッパ5大国中の唯一の国です。


ドイツ人キリスト教神学者ディートリッヒ・ボンヘッファー没70年、彼の神学は生き続けいている

【ベルリン】 4月9日、ヒットラー暗殺を企て絞首刑となった、ドイツ人キリスト教神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーが亡くなってから70年になる。近年アメリカ人の著者エリック・メタクサスが書いたボンヘッファーの伝記『ボンヘッファー、牧師、殉教者、預言者、スパイ』の中で、ボンヘッファーのキリスト教の信仰は、「神の民」と呼ばれている迫害されているユダヤ人の側にどのように立ったのか、ヒットラーの死と終戦を迎える3週間前に、究極的な犠牲を払い、命を落としたことによって、いかにヒットラーに立ち向かったのかを説明している。

ボンヘッファーは、中立国スイスに逃げようとした7人のドイツ系ユダヤ人を助けようとしたがゆえに逮捕された。

ボンヘッファーは、すべてのクリスチャンと、反ユダヤ主義という同様の悪が増加している今日の中で、善意を行う人々のために、豊かな信仰の遺産を残した。

1930年代の論点となっていることは、当時のユダヤ人が、神の選ばれた民であるユダヤ民族と関連性があったかどうかだ。ナチス支配下のドイツの教会は、ドイツのユダヤ人と聖書にあるユダヤ人との間には、何の接点もなかったと主張している。

今日、我々は同じ問題に直面している。聖書に記述されているユダヤ人は、現代のユダヤ民族とイスラエル国家と何らかの関連性があるのであろうか。あるいは、彼らが批判されているように、現在のユダヤ人はパレスチナ先住民からイスラエルの土地を占領し、植民地化しているのであろうか。

一見相反する神学的論議は、結果的には、1つの全く正反対の立場に導くのであろうか。それとも、反イスラエル、悪なるユダヤ人とするのか、あるいは、ユダヤ人は神に選ばれている民としてユダヤ人を支持し、彼らの生きる権利と彼らの祖国を守る側に立つのか。

ディートリッヒ・ボンヘッファーの残したものが今日、我々になすべきことを奮い立たせてくれるように。

トマス・サンデール記