2017年8月31日木曜日

第1回シオニスト会議120周年記念を祝う


ECI、バーゼルで第1回シオニスト会議120周年記念を祝う。
ヘルツルの夢は今も生きている。

【バーゼル 2017年8月31日】 8月31日木曜夜、第1回シオニスト会議120周年記念が、ECIと文化外交フォーラム主催で、テオドール・ヘルツルが1897年に滞在したとされる、歴史的ホテル、スイス・バーゼルにあるホテル・レ・トロワ・ロワで祝賀晩餐会が開催された。

スイス在住イスラエル大使のヤコブ氏は、このユダヤの歴史的な出来事をクリスチャンのグループが、まさに第1回シオニスト会議が開催された地で祝う事柄に感謝の意を表した。このイスラエルの記念すべきイベントはバーゼルで2週間前から祝われた。

バーゼル在住のユダヤ人コミュニテー総長であるガイ氏は、第1回シオニスト会議が1897年の時に、なぜこの地が選ばれたのかについてその理由を説明した。

「ドイツのミュンヘンやスイスのチューリッヒではあまりにも危険であったが、バーゼルの一般人口から考えるならユダヤ人には好ましく見えたからだ。」

基調演説でグレゴリー博士は、ヘルツルの夢は1948年イスラエル国家が建設されたことによって実現したかもしれない。しかし、ヘルツルのビジョンはまだ完成されていはいないことを指摘した。

博士は第1回シオニスト会議から使われた「シオニスト」(無限の理想)の言葉を用いて演説を続けた。「シオニズムとはたとえユダヤ人が祖国にイスラエルの地に戻ったとしてもその理想は尽きることがない。」とヘルツルは述べている。

博士は西側の世界観は、主にエルサレムとアテネであることを説明し、世界観のルーツがギリシャであることは言うまでもないが、ユダヤにもあることを語った。

プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム王子(歴史家)の祖々父にあたる最後のドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世がユダヤ人擁護に失敗したことを語った。「もしヴィルヘルム2世がヘルツルが提唱したイスラエルにユダヤ人国家建設を擁護することに同意していたのであれば、歴史は違う展開が用意されていたことでしょう。」

祝賀会の主催者、トマス・サンデルECI創始者は、ユダヤの歴史的重要な日を記念することは、ユダヤ人国家がさらに創設される道を切り開かれるためにも重要であることを指摘した。

「1897年8月31日は、第1回シオニスト会議が幕を閉じた日だった。しかし、そのような時期に、ユネスコ決議によって、イスラエルの地にあるユダヤの歴史は否定されたのだ。欧州にいる多くのユダヤ人は自らのアイデンティティを消さなければならない。だからこそ、このヨーロッパでユダヤの歴史を記念する重要性を学ぶ必要があるのだ。」